暗夜行路のブログ★

ダメ人間のぼやきです。

共生舎に行ってきました

 

共生舎に行ってきました♪

 

かなり久しぶりにブログを更新するので、なんだかまとまりのないものになりそうです。

・・・・且つ、あんまり説明が上手な人間ではないので、どうなることやら。

 

 

共生舎に行こうと思ったきっかけ

 

今月いろいろとあって無職になりました。最近は殆ど寝るか仕事するかの生活だったし(とはいいつつも休みはありました苦笑)人間関係の煩わしさもあり、店長に怒られ怒られ辞めてきました。

 

以前から、ツイッターやブログで共生舎という場所があるのは知っていたので、暇をもらったので今回行ってきました。

 

・・・・田舎で家賃なしで生活できるってなかなかそうない話ですし、なによりも時間があるのが魅力的。僕の所持している大量の書籍群を読みながら生活するのもいいし、畑やるのも面白そうだなーなんて勝手なことを想像していました。

 

 

とんでもなくド田舎

 

自分は神奈川在住なので、神奈川近辺の田舎しか想像できないのですよね。せいぜい清川村とか山北あたりの田舎でしょうか?

 

・・・・そんなレベルではないのですよね。

 

和歌山の紀伊田辺からバスで向かうのですが、共生舎のある五味までいくバスは一日に二本しかありません。且つ、途中から予約制の住民バスを使用しなくてはなりません。

 

・・・・そちらも確か一日二本だけだったかと思います。しかも、住民バスを使ってから五味まで行くのに一時間は山道を走らなければなりません。

 

僕が行ったときは運悪く台風が直撃してくるようなときでしたが、もしもこれから共生舎に行きたい方がいるのであれば、そういう日は行かないほうがいいと思います。

 

山道が土砂で塞がることだってあり得ますし、道路が冠水して通れなくなる可能性もあるのですよね。自分がいったときも岩が落ちていたり、大きな枝があったりと、正直に言って危険でした。

 

・・・・・住民バスの運転手さんには迷惑をかけたかもなぁ、すんごい世間知らずなタイミングで来ちゃったと思います。道は細いしすぐ横は崖だし、自分だったらこういう山道は走れないですねー。気づいたら崖の下にダムに落ちていると思います。

 

こういう秘境に行ってみますと、車が動いているだけで物凄く有難みを感じますね。

 

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 ↑画像だと分かりにくいかもしれませんが、とんでもなく大雨でした。

 

全く変わり映えしない山道を一時間以上走ったのちに、五味の集落が見えてきます。人口はたしか11人(共生舎のニートを含めないで)の限界集落です。

 

コンビニなんてものはどこにもないし、ましてや売店も自販機もないです。あるのは見渡す限りの山と川・・・・(と寄り添うように建つ家←基本的に廃屋っぽいです)

 

携帯電話はsoftbank以外通じないらしいです。自分はauだったので駄目になりました。

 

 

共生舎の様子

 

田舎で集団生活をしているということなので。皆さん外に出て畑を耕していたり、生活に関する規則が細かく規定されていたりするのかと思っていたのですが、共生舎に住んでいる方々は非常に自由に生活していらっしゃいました。

 

都会に比べれば全く不便なところですが、時間は有意義に使えそうです。山奥ニートと呼ばれるだけあってか、皆さんアニメを観たり、ゲームをしたり、漫画を読んだりと思い思いのことをなされていました。畑仕事をしたり、田舎生活を満喫しているような感じではあんまりないですね。狩猟とかはしているみたいですけど。

 

こちらに住んでいる人の話を聞いたところによると、物はないし、水道は止まるし、停電することもよくあるけれども、ここでの生活はストレスがなくていいと仰っていました。

 

コンビニも飲食店も娯楽施設もなくとも、人間ってそれなりに暮らせるんですよね。僕はそういうものに慣れ切っているので、なんだか不思議な感じです。ネットにさえ繋がっていれば通販もできるし、なんだかんだでやっていけるそうです。

 

 

感想

 

共生舎のある五味という集落は、信じられないような田舎でした。正直に言えば「よくこんなところに人が住んでいるよなあ」という印象でしょうか。僕は田舎暮らしにあこがれて行ってみたのですが、いろんなことを考えさせられます。

 

現状の日本において、多くの人がやりたいと思えるような生活ではないと思いますが。本当に何もない田舎という場所と、ニートという生活形態が互いにうまくマッチングして、今の共生舎が出来上がったような気が致します。

 

もちろん、田舎に出て積極的に活動を行ってみるのもアリなのでしょうが。共生舎の雰囲気は老荘思想な感じです。活発になにかをしたい人よりも、田舎でゆっくりしたい人には向いているのではないでしょうか。

 

・・・しかし、残念なことに今は空いている部屋が無いそうです。

 

僕は人の目を気にしてしまう性分なので、十数人が共同生活をしている共生舎で生活するのはちょっと厳しそうです。僕は孤独気質なので、離れとかでひっそりと暮らしたいかなあ。

 

ただ、そんなことをしていると、影が薄いのでそのうち忘れ去られるかも知れないですね(苦笑)

 

うちにある大量の本と、それを読むことができる膨大な時間が欲しいです。

 

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 ↑共生舎の近くにある石碑

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↑五味の集落には石像がよくありました。今は限界集落でも、昔は多くの人が居住していたのかも知れません。

 

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↑その他諸々の画像

五味の集落にはシキミの木が多かったです。

 

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

↑共生舎においてあったphaさんの本です。

これを読むまでは、漠然と仕事してないで生活している人だとしか思っていなかったのですが、なかなか面白かったです。

 

世の中に生きづらさを感じている人は、是非読んでみてはいかがでしょうか?

 

 

現代日本の文学47その2~芽むしり仔撃ち~

現代日本の文学47その2

 

 

 

今更ながらではあるが、全集に掲載されている作品全部に関しての感想を書くのはなかなか厳しそうだ。以前私は阿部公房氏の作品で「けものたちは故郷をめざず」の感想を書いたのだが、とりあえず次は大江健三郎氏の「芽むしり 仔撃ち」について話したいと思う。

 

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

 

 

 

ちなみに、阿部公房氏の作品で、「闖入者」は個人的に気に入っているので、オススメする。ちょっと時間があったら、他の作品についても感想を書きたいところ。

 

「芽むしり 子撃ち」この作品は、戦時中に感化院(今で言えば少年院)に収容されていた子供たちが、護送の途中で、疫病が発生して隔離された村に閉じ込められる話である。

 

近現代以前の日本では、人の死というものが身近にあった。・・・・・むしろ、今私達が生きている社会は、異様なまでに死というものに切り離されて成り立っている。いつ、自分が死ぬのかわからない状況というのは、全くもって理解しがたいし、未知の領域である。

 

「そして夜更けに長い間苦しんでいた仲間が死んだ。そのとき、僕らは不意に目覚めた。それは激しい音や突然の存在感に刺激されたというよりも、そのまったく逆の原因によるものだった。僕らの浅い眠りの群がりのなかで、一つのひそかな音が消え、一つの存在が失われた。そういう奇妙な異質の感じが僕らを一様にとらえた」

 

あっけない。そうとしか言いようのないものだ。大江健三郎氏は人の死に立ち会ったことのある人間なのだろう。一人の人間がこの世から消えても、何事もなかったかのように世界は動くのである。

 

しかし、この物語で主題をなすものは「人間の死」ではなく、農村に暮らす人間の閉鎖性だろう。疎開してきた子供たちに接する態度は、人間のものではなく、動物を扱うような冷酷なものだ。現代的な倫理が通用する世界ではなく、原始的で粗野な、多数者が少数者に転落した人間を抑圧する世界だ。

 

父親の弔いをしていた少年。疫病に罹った母親を持つ少女。そして感化院の少年たち・・・・・。

 

彼らは、決して通りぬけることのできない、村人の偽善の壁に屈服することになる。

 

もしも、この壁を乗り越えようとするならば・・・・?

 

われわれも、多くの壁によって屈服されているのは同じだと思うこのごろ。

 

われわれ人間は多かれ少なかれ、内的自己と外的自己・・・・本音と建前、内面とペルソナ使いわけて生きている。もしも、心の底の本音である、内的自己を貫き通そうとするならば、どういう状況に見舞われるのだろうか?

 

ほか飼育。不意の唖、後退青年研究所、アトミック・エイジの守護神。

 

これらはどれも戦争を扱った作品で、人間の根源的で拭うことのできない弱さといものを、表現した作品群だった。

 

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

  
『個人的な体験』と初期短篇 (大江健三郎小説)

『個人的な体験』と初期短篇 (大江健三郎小説)

 

 

 

平井和正「幻魔大戦」

幻魔大戦この言葉を聞いて、ピンと来る人はそうそういないだろう。

 

かくいう私も、kindleでSF小説を掘り漁っていたら見つけた作品なのだが、読んでみたらなかなか面白くて、まだ最初のシリーズだけではあるが、20巻を読み通すことができた。


この作品が世に出たのは1967年。平成生まれの私は産まれてすらいないのだが、当時に生きていた人も、現在に生きている人も、人生というものに悩みながら生きていたに違いない。

 

最初の巻では、主人公東丈の身体的コンプレックスによる葛藤、そして野球部のレギュラーになれなかったことから鬱屈した感情を抱き、何事に対してもトゲトゲしくなる主人公。恋人との不和、弟卓に対する嫉妬に似た八つ当たり・・・・こういった話は、10代の同じような多感な年頃の少年だったら共感できる節が多々あるのではないだろうか?

 

また、丈の偉大なる超能力が覚醒し、彼自身の劣等感が「優越感」に変化する節などは、俗に言う中二病っぽく面白い展開である・・・・しかし、この作品は決して少年だけに向けて書かれた作品ではないだろう。幻魔大戦は、5巻までは漫画家の石ノ森章太郎と共同で著作されてものだったのだが、それ以降の巻になると雰囲気が今までの超能力で幻魔と戦うというコンセプトがガラリと変わってくる。丈が幻魔研究会、略してGENKENという組織を創設するのに奔走する作品になるのである。

 

よくアニメなんかでありがちな、バトル小説から一気に路線が変わり、東丈が教祖のような立場になっていくのである。きっと、5巻までのバトル的な雰囲気が好きだった人は、それ以降の巻は読まなくなるだろう。5巻までの少年誌のような展開から、複雑な人間関係を主題にした話になっていくのである。もともと著者の平井和正新宗教のGLAに入会していたこともあってか、組織のなかにある人間心理というものをよく捉えていると思う。

 

同性には煙たがられるけど、主人公とは人一倍仲のよいヒロインタイプの井沢郁江や。常識的で、大人であるばかりに郁江や丈の行動に気を揉んでしまう杉村由紀。どことなく、会の周りの人たちに比べて、自分自身は劣っているのではないかと引け目を感じてしまう、木村一枝や白井晴美・・・・要領がよくて、丈をライバル視している高鳥慶輪。そしてGENKEN側なのか、幻魔側の人間なのか釈然としない久保陽子・・・・

 

途中で打ち切りのような形で終わってしまうのは非常に残念。次の作品もあるのだが、そちらは平行世界の、違う展開のお話になるらしい。

 

とりあえず、次の作品である真幻魔大戦は、まだKindleでは出ていない模様。ヤフオクやアマゾンで出品されているものがないか、探してみたりもしたが、あまりいい感じのものは見つからない。

 

 

・・・・やはり、絶版の小説を見つけ出すのは、非常に難しいようである。

 

 

 こちらは路線回帰をして、幻魔とか戦闘シーンもあるようだが、まんまムー大陸やら、転生輪廻やら、幻魔大戦以上に宗教食が濃くなっているように思われる。

 

 

非常にぶっ飛んだ展開の作品ではあったが、個人的には非常に楽しめました。

 

 

・・・・しかし、話はやや変わるが、当時はまだ人種差別というものが、非常に根強く残っていたのだと思い知らされる。

 

 

黒んぼ発言や、ルナ王女の黄色人種への嫌悪。今でも残っている節もあるだろうが、当時と今を比べてみると、倫理観が変わっている面もあるのだと、実感ところもあり。また、とある新宗教を露骨に否定するところもありと、現在同じような話を作ったらバッシングされるのではないかと・・・・まぁ、そういった面も含めて面白く読ませていただきました。

真幻魔大戦1 超意識との邂逅

真幻魔大戦1 超意識との邂逅

 

 

現代日本の文学47~けものたちは故郷をめざす~

学研「現代日本の文学47“阿部公房・大江健三郎”」

 

どうにも今夜は神経が高ぶって、読書が進まない。

 

・・・・・なので、以前に読んだ本の感想でも一つ書いてみたいと思う。


けものたちは故郷をめざす (新潮文庫 あ 4-3)

けものたちは故郷をめざす (新潮文庫 あ 4-3)

 

 

 

どうにも私は物好きなのか、部屋のなかには一昔前の箱本やら全集がごろごろしている。今回書き込む、現代日本の文学はヤフオクで50巻揃いで落としたものだ。

 

これは去年の10月あたりに購入したのだが、読んだのはまだ17~18巻程度。今のペースで読み進めれば、私が三十路になるまでには読み終えられるが、これからも今のように暇だとは限らないから、どこまで進められるかはわからない。人間が一生に読める本の量なんて、たかが知れていると思う今日この頃。

 

・・・・とまあ、それは置いといて。この書籍には以下の作品が入っている。

 

阿部公房集

けものたちは故郷をめざす

魔法のチョーク

デントロカカリヤ

闖入者

 

大江健三郎

芽むしり 仔撃ち

飼育

不意の唖

後退青年研究所

アトミック・エイジの守護神

 

阿部公房と大江健三郎。この両者が同じ本に纏められた理由に関して、無知な私にはよくわからないが、この書籍に入っている作品は非常に戦争の影が漂う、どこか荒んだ臭いを漂わせるものばかりだ。

 

冒頭にある“けものたちは故郷をめざす”は、満州に移住していた主人公の久木久三が、故郷である日本を目指すために、ハバリンから南の遼東湾まで行く話だ。

 

・・・・この作品は、戦後育ちの私には全くわからない混沌とした、人間の欲望がうずまくけものじみた人々の物語だ。主人公の久木久三は、ロシア軍に占領されたハバリン市内で、そこに住んでいるロシア軍のアレクサンドロフ中尉に、女中同様の扱いを受けて生活していた。しかし、日本人として一人ハバリン市内の取り残された久三は、徐々にその焦りが高じていき、故郷の日本に向かおうと決心するのだった。

 

解説によると、阿部公房の根源的なテーマの一つに「壁」というものがあるそうだ。久三は南を目指すまでに、高石搭という偽名を使う青年に出会い、そして散々な思いをして果てしない原野を二人で歩み、やっと日本の領海までたどり着くことができるのだが・・・・?

 

敗戦後の日本は、果たして久三が想い描いていた楽園のような日本があったのだろうか「降りたって、ろくなことはないんだぜ。浮浪児になって、うろうろごみためを漁るのがオチさ。もうちっと、ここでゆっくり遊んでいくんだな」という船長の言葉には、困難を乗り越えた先には、きっと希望は見えると信じていただろう久三には、信じがたい現実だっただろう。

 

希望があると信じて向かった先には壁が立ちふさがっていた。なんともニヒリズムな展開だが、人間という生き物は、ある種の楽園というものを信じて前に突き進む傾向があるように思われる。

 

旧約聖書の約束の地を目指してカナンの地へ向かうユダヤ人。先住民を駆逐して、自分達の王国を立てたのはいいものの、ソロモンの栄華以降は衰退の兆しが見え始め、アッシリアによって国は滅ぼされてしまう。

 

・・・・しかし、絶望に苛まれて動かないよりも、人間は何かをやってから絶望したほうがいいのかも知れない。何かをやらずに後悔するよりも、何かをやって後悔したほうがいいこともあるのだろうから。とはいうものの、戦後の温室でのうのうと育ってきた人間が、偉いことをいえるような話ではないよなぁ。

 

当時の惨状なんてわからないし、結局甘ちゃんなことしか言えないんだよね。すさまじい話だとは思ったけれども、当時を生きていた人々の考えていたことや感情。それら全てを理解するのは不可能なんだろうな、きっと。

 

・・・・とまあ、たかだか千文字ちょっと書いただけで1時間と20分を消費し、そろそろ寝る時間になっている。まだまだ一作品のことしか書いてないのだけれども。続きは後日、また気が向いたら書こうと思います。

 

ブログを始めてみました。

 

ブログ始めてみちゃいました♪

 

 

まったく何から手をつけていいのかわかりませんが、ブログを始めてみました。

 

主に、読書感想文みたいなものを書いていけたらいいなあと思っています。

 

昔から、少なからず文学や思想に興味関心を抱いていたものの、あまりそういった話で人と交流する機会がなかったので、そういった話をブログのなかで、していけたらいいなあと思います。

 

それでは、よろしくお願いします。