現代日本の文学47その2~芽むしり仔撃ち~
現代日本の文学47その2
現代日本の文学 (47) 安部公房・大江健三郎集 けものたちは故郷をめざす 魔法のチョーク 他
- 作者: 安部公房,大江健三郎,足立巻一,伊藤整
- 出版社/メーカー: 学研
- 発売日: 1978
- メディア: 単行本
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今更ながらではあるが、全集に掲載されている作品全部に関しての感想を書くのはなかなか厳しそうだ。以前私は阿部公房氏の作品で「けものたちは故郷をめざず」の感想を書いたのだが、とりあえず次は大江健三郎氏の「芽むしり 仔撃ち」について話したいと思う。
ちなみに、阿部公房氏の作品で、「闖入者」は個人的に気に入っているので、オススメする。ちょっと時間があったら、他の作品についても感想を書きたいところ。
「芽むしり 子撃ち」この作品は、戦時中に感化院(今で言えば少年院)に収容されていた子供たちが、護送の途中で、疫病が発生して隔離された村に閉じ込められる話である。
近現代以前の日本では、人の死というものが身近にあった。・・・・・むしろ、今私達が生きている社会は、異様なまでに死というものに切り離されて成り立っている。いつ、自分が死ぬのかわからない状況というのは、全くもって理解しがたいし、未知の領域である。
「そして夜更けに長い間苦しんでいた仲間が死んだ。そのとき、僕らは不意に目覚めた。それは激しい音や突然の存在感に刺激されたというよりも、そのまったく逆の原因によるものだった。僕らの浅い眠りの群がりのなかで、一つのひそかな音が消え、一つの存在が失われた。そういう奇妙な異質の感じが僕らを一様にとらえた」
あっけない。そうとしか言いようのないものだ。大江健三郎氏は人の死に立ち会ったことのある人間なのだろう。一人の人間がこの世から消えても、何事もなかったかのように世界は動くのである。
しかし、この物語で主題をなすものは「人間の死」ではなく、農村に暮らす人間の閉鎖性だろう。疎開してきた子供たちに接する態度は、人間のものではなく、動物を扱うような冷酷なものだ。現代的な倫理が通用する世界ではなく、原始的で粗野な、多数者が少数者に転落した人間を抑圧する世界だ。
父親の弔いをしていた少年。疫病に罹った母親を持つ少女。そして感化院の少年たち・・・・・。
彼らは、決して通りぬけることのできない、村人の偽善の壁に屈服することになる。
もしも、この壁を乗り越えようとするならば・・・・?
われわれも、多くの壁によって屈服されているのは同じだと思うこのごろ。
われわれ人間は多かれ少なかれ、内的自己と外的自己・・・・本音と建前、内面とペルソナ使いわけて生きている。もしも、心の底の本音である、内的自己を貫き通そうとするならば、どういう状況に見舞われるのだろうか?
ほか飼育。不意の唖、後退青年研究所、アトミック・エイジの守護神。
これらはどれも戦争を扱った作品で、人間の根源的で拭うことのできない弱さといものを、表現した作品群だった。